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たまご料理はローマでも日本でもいろいろな形で食べられている

たまご料理はローマでも日本でもいろいろな形で食べられている

1.すべてのたまご料理はローマに通ず
すべての道はローマに通ずとは、古代ローマの栄華を示す有名な言葉ですが、今回「すべてのたまご料理はローマに通ず」と言いたい。なぜなら美食を極めた貴族たちの饗応料理は、いつもたまご料理で始まっていたからです。

現代の西洋コース料理の源流であるケーナ(正賓)は、貴族たちの宴会のこと。食前酒に始まり、前菜2種、魚・肉料理、デザートと進みます。その前菜として登場するのが、たまご料理。殻に穴を空け、直接生たまごをすすることもありましたが、ポピュラーだったのはガルム(魚醤)付きのゆでたまご。これを食べずに宴会は始まりません。

しかし、ワンパターンじゃ飽きるのが人間。当時の権力者たちは、人気者を自分の家に招待するべく、「こんなに素晴らしい料理が待ってるぜ」と、メニューリストつき招待状を送り、豪華なたまご料理の数々で誘惑していました。

例えば、詩人のマルティアリスは招待状で「前菜は、マグロの稚魚の塩漬けを香りのいいハーブとたまごとじにする予定。いい感じのゆでたまごもきっと出すよ」と書いていますし、他のケーナでも、「ワインとガルムのソースを添えたたまご焼」「ミルクのパティナ(ウニをトッピングしたたまごソースのタルト)」「半熟のゆでたまごと松の実ソース」など、明らかに美味しそうな前菜がずらり登場。

かの有名な哲学者・キケロも、そんな招待状に対し「貧欲にたまごにかぶりつきたい!覚悟しておいてくれたまえ!」という、欲望丸出しの返事を残しているほどです。ローマ時代から今も変わらない、たまごへのときめき。前菜にたまご料理が出るパーティはきっといいパーティです。


2.江戸のまとめ「卵百珍」
食卓に特別感をくれるたまご料理。それは江戸時代から変わらない感覚だったようです。当時庶民の間では、豆腐や鯛など、ひとつの素材ごとに約100種類のレシピをまとめた「百珍本」シリースがブームとなっていました。

その中で、1785年に出版された「万宝料理秘密箱」の「卵の部」は、別名「卵百珍」と呼ばれる百珍本。「金糸卵の仕方」から、はては驚きの「卵殻共に切る仕方」まで、103種類のレシピが網羅された、江戸時代のNAVERまとめだったのです。

本の冒頭にはこうあります。この本は、ご飯、汁物、なます、皿物、椀物、焼物、酒の肴や吸い物まで、たまごを使って四季の献立が立てられるものです。今までの料理本には載っていない珍しいレシピ、秘宝伝授モノのレシピが、どのご家庭でも簡単に作れるよう、詳しく書かれています。

さらにレシピだけでなく、付け合わせの薬味や配膳の仕方まで書いてある親切ぶりです。例えば、37番「長崎油餅卵」はこの通り。「長崎では鴨のたまごを使うけれど、いつものたまごでもOK。傷をつけたたまごを酒で煮貫きにして(=茹でて) 、傷から白身が出できたら、殻をむき、うどん粉、黒ごまと混ぜる。これを油で揚げれば完成。揚げ過ぎはNG。

食べ方としては、台ひき、平皿物か、お菓子がベター。おかずにするならにんにく味噌かわさび味噌、山槻味噌がオススメ。といった具合です。この丁寧な記述、想像するだけでおいしそう。

茶碗蒸しなどのおなじみの料理も登場しますが、不思議なレシピも多々。特にラストを飾る「卵殻共に切る方法」なんて、一体どんなシーンで使っていたのか。「新鮮なたまごを酢に30分ほど漬けた後、その酢でしっかり煮る(ふたは取る) 。その後酒にちょっと漬けて取り出し、薄い刃で切れば、約百枚に切れます」とのこと。

用途は不明だけど、この方法を発見した探究心が純粋にスゴい。考えれば、当時たまごは超高級食材だったわけで、庶民がそう簡単に食べられるものではなかったはず。もしかするとこの本は、今でいうネット上の「作ってみた」系の動画のように、ワクワクしながら珍しい料理に思いを馳せる本だったのかも

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